▼平川地一丁目「雪解けの頃に届く手紙」はマジで傑作なのに
[2007年03月12日(月) ]

 

 平川地一丁目の第3作「雪解けの頃に届く手紙」は、ポップで爽快なアルバムだ。龍之介・直次郎の兄弟デュオにとって最高傑作だ。どうしてこのアルバムが売れないのか。そんな世の中/音楽業界だ、と言うしかないのだろうか。

 「70・80年代のフォークソングを現代に再生」といった説明はもう不要になった。このアルバムで、平川地一丁目のオリジナルな世界がほぼ完全にでき上がったと感じるからだ。

 今までの説明が今も通用するのは、「優しい」というキーワードが共通している点だけだ。楽曲も二人の歌い方も演奏も、聴くものの心に穏やかで優しいさざ波を起こしてくれる。[事情があってこのアルバムを記事にするのが遅れてしまってごめんなさい]

 私はこのアルバムを聴き終わって、即座にリピートしたくなった。それぞれの曲のできもいいばかりではなく、13曲の構成も全く飽きが来ないし、とても気持ちのいい流れで並んでいる。12曲目に短いがほのぼのとしたインストゥルメンタル「雪解けの頃に届く手紙」を置くなんて味なまねもしている。

 直次郎のヴォーカルは、磨きがかかると同時にとても安定してきて、安心して身を委ねられる。歌詞の細かいところまで配慮が及んでいて、かゆいところに手が届くようになった。

 龍之介の曲作りも、ものすごく多彩になってきて、おいしいメロディがたっぷりある。意外な展開をしたり、かくし味をつけたりと、メロディーメーカーとして飛躍的な進歩をとげている。

 正直言って、2005年の前作(セカンド・アルバム)「海風は時を越えて」は、すばらしかったけれどもやや単調なところもあった。これは、彼らが「平川地一丁目」という名前にしばられて、「期待される」音楽をやろうとしすぎて、つまり、フォークを意識しすぎて、自由な創作や演奏に対して少しだけ遠慮してしまった結果ではなかったか。

 それが、今回のアルバムでは、何かふっ切れた感じで、詩の世界も、メロディの展開も、演奏の色合いも、のびのびと録音した雰囲気が伝わってくる。佐渡という地よりも自分の日常の想いを等身大に描くことにこだわった感じもある。 とりわけ龍之介が書く詩の世界が変わってきて、新生面を見せている。見ている世界が広がってきた上に物言いが大胆になってきたので、とても面白い。

 「ハイヒール」では友だち(恋人?)に「そのままの自分、隠すために 強がるなんて辛くないの?」と苦言を呈している。

 「悪魔の片想い」では人間のこわい一面を描きつつ、ここが「優しい」のだけれど、その「こわい一面」は発揮されずに終わるユーモラスなオチを付けて、曲をおしゃれにしている。

 すごい作品が「ビンタしたいヤツ」だ。友だちあるいは恋人に対して、成長することの意味を示唆し、「進歩してないのは 君だって事言いたいのさ」なんて言葉で締めくくる。高校を卒業する年になり、人間の心理の機敏がかなり深くわかってきたのだろう。あるいは自分の経験をしっかり見すえる目ができてきたのだろう。でないとかけない詩だ。それは「時の停まった部屋」「全ては君のために」でも表れている。

 一転して「パリな僕」では妙に強がっている自分も見せる。13曲目の「おやすみなのうた」では、アルバムの最後にふさわしすぎるくらい、聴き終わったら本当に安眠できそうな曲を捧げてくれる。 こうしてあげた曲たちが、それぞれ違う色彩に、しかも詩にぴったり合った色で塗
られているのだから、曲がすーっと素直に私の心まで入ってくる。

 「全ては君のために」では、直次郎が曲を付けていて、龍之介とはひと味違った率直なメロディになっていて興味深い。龍之介ならもっと凝ったメロディにしちゃうだろうなぁ。

 直次郎が書いたのはその他には「校庭に見つけた春」(詞・曲)。シングル作でもあるので、今までの「平川地一丁目」的サウンド。でもその集大成といってもいいおいしいメロディがあふれているので、これがアクセントにもなり、アルバムの幅も広がっている。

 多彩になったのはメロディや詩だけではない。ギターワークもぐぐっと進化したし、アレンジも「ほほー」とうなるところが何ヶ所もあった。

 全体として「フォークロック」の枠を越えて、「平川地一丁目」の自己表現、あるいは彼ららしい「気」に満ちあふれている。歌詞が縦書きにしてあるこだわりもカッコいい。ぜひとも聴いてみてほしい。

 それにしてもファンはどこへいってしまったのか。このアルバムは『オリコン』の週間アルバムチャートで126位初登場。1週間で推定1725枚しか売れていない。セカンド・アルバムは1万枚以上売れていたのに。売り上げは関係ないと言いつつも、ここまで落ち込むと落ち込む。

 そんな中で林直次郎がソロデビューするのは、やはり心配である。直次郎ソロを起爆剤にして本体である「平川地一丁目」を再び飛翔させよう、というのなら納得できるけれども……。しかし橘慶太と w-inds. のケースもあることだし、ここで安易に「推測」だけしていても始まらない。

 春のツアーに行けば様子もわかりそうだが、どうしても東京の日に用事があっていけないので、くやしいこと限りない。ファンとしてできることは、ふたりをただ見守り、スタッフにもっと彼らの音楽を広く知ってもらう工夫をいっそうしてほしいと願うしかない。

 

  《 06年9月24日平川地一丁目