「漂い続けることは闘い続けること。それも笑いながらね」
 ――テレビ『ひょっこりひょうたん島』の漂流の旅から見えるもの
特集 2008年、「島宇宙」の旅
[THE BIG ISSUE 2008年7月1日号]

 

何の未練もない、事件が終われば再び漂流

 私はオリジナル版の『ひょっこりひょうたん島』(1964年から5年間放送、NHK 総合テレビ)に熱中し、もう一度再現して楽しみたいというだけの理由で、ビデオのない時代に克明に記録をとり続けた。

 そんな中でもっともワクワクドキドキしたのは、一つのシリーズが終わって次のシリーズへ移行する前後だった。ひようたん島民たちは、難事件を解決しては「さよならさよならまた会う日まで……」(「第2テーマ」と呼ばれる定番の歌)を歌って去る(または島に来たゲストが島を去る)。もう次の回からは緊迫の新しいストーリーが始まる。こんどはどんな不思議な世界と遭遇するのか、どんな怪しい生命体(来島したのは人間だけではなかった)が島にやって来るのか、楽しみでしかたなかった。

 今思い返してみると、シリーズ間の「急展開」はやや不思議だ。事件が解決すると、島民たちは何の迷いも未練もためらいもなく、かかわった土地や人と離れ、再び島とともに漂流するのだ。定住しようなんて意見は検討されるどころか、まったく出てこない。見事なまでの潔さだ。作者たちが台本が書けなかった時の「うめくさ」として回顧録が放送されることがあっても、めったなことでは過去を振り返らない。きっぱりと気持ちがリセットされて新シリーズへ向かう。

 私は島に妙なゲストがやって来るシリーズより、謎の国に漂着するシリーズの方が好きだった。妙なゲストは島でなくても来れるわけだし、まったく未知の世界や人間に接して、ひょうたん島民がどうかかわっていくかが最高におもしろかったからだ。

 異質の文化やバーソナリティとの出会い。こんな人間がいて、こんな世界もあるかもしれない。実際そこには、作者の井上ひさし・山元護久両氏によって仕かけられた、さまざまな社会のパロディが組み込まれていた。クレタモラッタ島には、ギリシャ神話を思わせる神々が住んでいて地球を管理しているが、その神々は人間の権力欲やわがままさも象徴していて、最後は福神漬を売って生活するハメになる。カンカン王国では、世界の人間を悪魔にする計画が進められていて、事件を解決する中心にいつもいる博士までもが悪魔に魂を売ってしまう。地球規模の問題も先見的に入ってくる。博士の「僕は地球を愛してる」という曲は環境問題へのメッセージとも受け取れる。

 

どこへ行くかわからない。だが、未来は自分たちが選びつくり上げる

 音楽を担当して、今でも新鮮に聞こえる明るく斬新なメロディを紡ぎ続けた宇野誠一郎さんは、『ひょっこりひょうたん島』のテーマソングに「ひょうたん島は僕らを乗せてどこへ行く」と歌われているが、「まるい地球の水平線に何かがきっと待っている」としか示されず、どこへ行くのかがわからない。高度経済成長中で、目標が「いい学校→いい会社」そして究極的にはアメリカという時代にあって画期的だった、と述べている。

 そして宇野さんはさらに、目標が薄れた現代にあっては、未来は不確定で、不確定なまま進んでいかなくちゃならないことを私たちが受け入れるしかない、未来は自分たちが選びつくり上げるものだ、と訴えている。

 同様のことは作者のひとり、井上ひさしさんも語っている。「漂い続けるってことは、闘い続けるっていうことです」、つまり私たちは「希望を探して見つけて、あるいはつくり出して、それに向かって自信を持って漂い」続けなければならない、「それも笑いながらね」と。ならば漂流は必然だ。

 そしてお二人の言う「未来」がストーリーからほの見える。島民たちは事件が解決すると、たとえ島民を抹殺しようとした者たちでさえ許し、時には海賊4人組や魔女リカのように、しばらく島に住まわせたりする。ただし、そのプロセスはどたばたで、きれいごとは皆無、大もめの末にやっとこ、ともに生きるのだ。

 最終回、指名手配中のダンディと引き換えに国連加盟できると言われても、ダンディの人間性を信じ手配の方が間違っていると、国連加盟を断ってしまう。漂流の醍醐味だ。島国である日本が、ひょうたん島から学べることはとんでもなく大きい。

(文中の宇野さん・井上さんの話の引用は『人形劇ガイド ひょっこりひょうたん島2003』NHK 出版より)

 

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