バレーボール世界大会の主催はテレビ局?
[THE BIG ISSUE 2007年2月1日号]

 

 ここ数年、不思議で仕方がないことがあった。バレーボールの世界大会がほとんど日本で開催されていることである。例えば、2006年の世界選手権に続き、今年のワールドカップも日本開催だ。

 どうして日本でばかり開催するのか? 昨年の世界選手権の時の報道でやっとその理由が見えてきた。FIVB(国際バレーボール連盟)のアコスタ会長は、記者会見で「日本開催が多すぎるのでは」という外国人記者の質問に、予選は世界各地でやっているので問題ないとした上で「日本のテレビ放送は大事だ」と答えた。

 簡単に言えば、テレビの放映権料がたっぷり入るから日本でやっているのだ。朝日新聞によれば、FIVB の収入の8割近くが日本のスポンサーからのもので、そのほとんどがテレビ局なのだそうだ。納得。

 実際、日本でのバレーボール熱は高く、とりわけ最近はタレントを使いまくり宣伝しまくって視聴率を上げている。視聴率でもプロ野球を大きく引き離している。スポンサーにも局側にも、実に「おいしい」コンテンツだ。

 そのため「演出」は過剰になる一方だ。試合前には、必ず歌とダンスのパフォーマンスがあり、応援も局が用意したリーダー(タレントのこともある)がリードしている。

 日本選手の紹介にはたくさんのエネルギーが割かれ、練習や合宿のプロセスをドキュメンタリー風に追ったり、プライベートもちらりと紹介したりする。選手が放送する局の番組に出演して宣伝させられることもある。選手のコンディションや、試合へ向けての集中に影響がないわけがない。

 それに比べて、対戦相手の選手についての情報は極端に少ない。名前すらろくにわからない。試合中も日本チームの解説ばかりで、相手チームの特徴や選手の個性など知るよしもない。もちろん相手チームにエールを送ることも少ない。スポーツの大会は国際交流の場でもあるのではなかったのか。

 さらに日程や試合進行の段取りまで、テレビ局の意向に合わせて調整している。これでは主催は FIVB ではなく、テレビ局だ。

 2008年の北京オリンピックでも、運営費の半分近くにもなるほどの放映権料を払っている米国 NBC テレビの強い要求で、水泳・体操のほとんどの決勝が午前中に行われる予定になっている。もちろん米国で人気があるこれらの種目を、米国の夜のゴールデンタイムにナマで放送するためだ。

 午前中にコンディションを整え、午後の決勝にベストの態勢で臨む、というスポーツ大会の原則など吹っ飛んでしまっている。

 スポーツはもはや、バラエティかショウの構成要素でしかないのだろうか。結果的に競技の質が下がって、見るに耐えなくなるのではないか、という誰でもわかる想像さえできないほど、テレビ局には「未来」がなくなっている。