テレビの利点が活かされていない「放送大学」
[THE BIG ISSUE 2007年2月15日号]

 

 ほとんどの大手予備校は、通信衛星まで使って人気講師の授業を全国に配信し、それを教室でテレビで見るだけで高い代金を取っている。しかし、元予備校講師で現在も英語の個人指導をしている私から見ると、この「授業」の効果はかなり疑わしい。

 目の前にいる「リアル」な講師が、鋭く入試問題を分析し、現実や学問的背景にまで切り込みながら熱く語ると、内容ばかりではなく、その「気」が受講生に伝わり、モチベーションまで高まる。

 しかしその同じ語りをブラウン管を通して見ても、「気」までは伝わってこない。受講生のハートをつかまえる講師は、毎回変わる受講生の構成から生まれる雰囲気に合わせて、話し方も展開も微妙に変えていく。板書しながらしゃべるだけでも集中が生まれる。それが「ライブ」授業だ。

 だから、テレビを見ていても、気持ちは高ぶってこないし、講師のアクションも小さい箱に閉じこめられているし、終了後の質問もできない(別の講師が受ける)。結果的に、高い授業料(衛星使用料の回収のため割高になる)の割に投資効果はあがらないことになる。多少内容のレベルが落ちても「リアル」な講師と「気」を交歓した方が学習は進むのだ。

 そこで思うのが、たまにテレビをザッピングしている時ふと目に留まる「放送大学」である。これが、予備校のテレビ「講座」と大差ないと思わざるを得ないのだ。確かに、写真・ビデオや、きれいに要点がまとめられたボードなどが使われていて、予備校講師の授業よりわかりやすそうに見える。

 しかし、日本の大学の状況を反映して、予備校講師よりも「熱く」人をひきつける語りができる講師がきわめて少ない。多少映像がはさまっても、正直眠くなってくる。大学の教員たちはもっと「話芸」を磨いて、自分が研究した成果をプレゼンテーションしていけるようにならないと、学問は普及しないし、学問の未来もないだろう。

 もっと問題なのはテレビというメディアの特性が、まったく活かされていないことである。一般の番組では、話のポイントを文字で画面に表示したり、CG を使ってわかりやすい解説をしたり、些細なことでも各地へ取材へ行って映像化したりしている。それが「放送大学」では、めったに見られない。予算もないのだろうか。

 この「放送大学」をしっかり聴講して学習し、単位を取るには強力な意志が必要だ。学問の原点である「なぜ?」「どうして?」を追究していく歓びが得られるどころか、何の工夫もなく知識が「上意下達」されているだけでは、利点は「通学」しないでいいことだけだ。

 きっと、学問する人たちの意識が変わらない限り「放送大学」の魅力が増すことはないのだろう。残念だ。